ゴトビ監督解任と大榎新監督就任に思う

J1清水がゴトビ監督を7月29日付で解任。
後任として、清水ユース監督の
大榎克己氏の監督就任を発表した。

2011年から指揮をとってきたゴトビ監督。
ここ3年は、10位、9位、9位という中位の成績で、
今シーズンは、リーグ戦折り返しのタイミングで、
降格圏までわずか勝ち点差3の12位。

結果を求めた今シーズンの低迷や、
戦術、試合内容、他にも多くの要素から判断して、
クラブは解任を決めたという。

■納得のゴトビ監督解任

ゴトビ監督の解任は、妥当だったと思う。

ときに素晴らしいサッカーを見せて、
ワクワクするような試合も結構あった。
連動性がある、縦に速い展開は、
迫力があったし、見ていて楽しいこともあった。

ただ一方で、ここ最近に見られるように、
何もできずに終わる試合も多かった。
90分間、つまらないサッカー。

高いディフェンスラインの
サイドバックの裏っていう弱点を突かれ、
ワイドに張った攻撃の選手を孤立させられる。

それだけで、ピッチ上の選手たちは、
何もできなくなる試合が、何度もあった。

選手同士の話し合いが足りないらしいことも、
大きな原因だと思うけど、
監督と、今いる選手の層が合わなかった。

「規律を求める外国人監督」と、
「日本人の真面目な若手選手」というのは、
相性の悪い組み合わせだった気がする。

選手は監督の言うことを聞くばかりで、
規律をうまく崩すことができていなかった。

選手同士で話し合った前節の柏戦より前は、
相手の言いなりになって、
何もできずに終わるサッカーが多かった。

ゴトビ監督の「理想」は、高すぎた。

■解任=ダメ監督とは思わない

ただ、だからって、
ゴトビ監督がダメ監督だったとは思わない。

ゴトビ監督が就任した2011年は、
国内の移籍金制度の過渡期で、
契約切れの選手は、移籍金ゼロで移籍、
能力ある選手たちが、次々とクラブを去った。

その後もクラブの財政事情から、
能力を持った選手を次々と手放さなければならず、
戦力も経験も毎年のようにリセットされた。

その中で、なんとか中位をキープするのは、
簡単なことじゃなかったと思う。

ここでも「理想」を追うゴトビ監督と、
理想を実現するには、
もっと能力が必要な選手という、
ミスマッチな関係が生まれていたと思う。

■清水エスパルスを整えた功績

ただゴトビ監督の「理想」を求める姿勢は、
クラブチームとしての清水を良い方向に変えた。

例えば就任早々、
練習場の壁をオレンジに塗るなど、
「エスパルス」や「清水」への愛着を、
選手やファンに強く感じさせることをした。

選手の環境面も充実させた。
練習や試合の映像をデータベース化し、
選手はクラブハウスでも自宅でも、
その映像を見られるようにした。
クラブハウスのフィットネス設備なども整備した。

それと、社会への貢献も素晴らしかった。
2011年、東日本大震災が起きたあと、
中断されたJリーグの再開10日前に、
オランダでチャリティーマッチを組んだ。

選手のコンディションを考えると、
再開10日前にヨーロッパ遠征をするのは、
まったくプラスにならないけど、
それでも復興支援のためにと、
アヤックスとの試合をした。

結果、アヤックスのスタジアムには
4万人に迫る観客が訪れ、
7億円を超える義援金が集まった。

こうした活動は、
ゴトビ監督が「理想」を求めた結果の功績。
どれもずっと清水に足りなかった部分だった。

ゴトビ監督の手腕によって、
Jリーグでの成績は上がらなかったけれど、
クラブチームとしての能力は、確実に上がった。

これらの環境作りや行動をするときの「理想」は、
ゴトビ監督がいなくなったあとも、
清水の財産として、受け継いでほしい。

■大榎新監督は現時点でベストの選択かも

そして、大榎新監督が就任。

リーグ戦を折り返しての初戦、
FC東京戦が3日後の土曜日にはある。

ユースでは、打ち合い上等の
サッカーをしているらしい大榎新監督だけど、
とりあえずは今の戦術をベースに戦いそう。

まずは、サイドの選手を孤立させない攻撃など、
今シーズンうまくいっていない部分を、
改善させていく様子。

選手の心理面に与える影響も大きいはずで、
大榎新監督が、意見や考えを言い合う
環境を望んでいることも、
若手の多いクラブでは、いい影響をもたらすと思う。

清水東出身で、選手時代は戦術理解に優れ、
複数ポジションをソツなくこなした、
サッカーの頭脳を持つ大榎新監督。

Jリーグでの指導経験がないとはいえ、
大学、そしてユースで指導したことで、
コミュニケーションの言葉も身についているはず。

そしてこれまでゴトビ監督が築いてきた
清水のサッカーも、よく分かっている。

ゴトビ監督を今解任した時点で、
大榎新監督は、ベストの選択かもしれない。

それは観客動員が落ちている現状を考えても、
ベストだったんじゃないかと思う。

「大榎」はクラブにとっても、
ファンにとっても、特別な存在なわけで。

■23年前の大榎の言葉

1991年2月、Jリーグ創立時の
加盟10クラブが発表されて、
「清水FC」が名を連ねたあと、
当時ヤマハ発動機(現磐田)でプレーしていた
大榎克己は、清水FC入りを誰よりも早く決断、
清水のクラブ第1号契約選手となった。

長谷川健太もほぼ同時加入だったものの、
ケガで入院中だったことで、
チームで活動していたのは、
しばらくの間、大榎1人だけ。

周りの選手が日本リーグでプレーする中、
大榎は清水の高校の練習に参加して、
高校生と一緒に練習する日々を過ごした。

大榎はのちに、そのころを振り返ってこう言った。

「状況を見てから参戦したほうがいいという声もあったが、
 自分が行かなければ何も始まらないという使命感があった」
(クラブ創設20周年記念本より)

そのときから23年、
契約期間も年俸もまだ決まっていない中、
大榎克己は、シーズン途中での監督就任を決意した。

そして、就任会見でこう語った。

「このチームを絶対に下のカテゴリーに落としてはいけない」
「もう一回みんなから愛され、応援されるエスパルスにしたい」

そんな本心からの思いが、
チームを強くし、選手を伸ばしてほしいと思う。

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