大榎新監督の就任会見の言葉

J1清水に大榎新監督が就任。
そのことについて、昨日に続いてもうちょっと。

1991年に清水FCとして、
エスパルスが誕生してすぐ、
まだチームも練習場も何もない中で、
第1号で契約した、大榎克己。
(加入後しばらく1人で高校生の練習に参加)

その後、さまざまなクラブで活躍する、
地元の選手たちを清水に勧誘したことで、
何もなかった市民クラブは形になったばかりか、
清水はJリーグ開幕年から結果を残し、
「強豪」として数えられた。

その後、1997年の経営危機で、
クラブ消滅が叫ばれるようになると、
大榎は良くも悪くも
「チームが残るなら給料はいらない」と言って、
いち早く清水残留を宣言した。
(※正確には“スポンサーがついてくれるまで
  給料が払えないのなら、2か月や3か月は我慢する”
  という気持ちからの言葉)

つまり、清水というクラブは
大榎とともにあって、大榎がいなければ、
清水は今と違った形で存在したか、
もしかしたらもう存在していなかったかもしれない。

だからこそ、大榎新監督の就任会見での
清水エスパルスを作ってきた側としての言葉は、
心に響き、刺さるものだった。

「こんなことを言っていいかは分かりませんけど、
 会社にいて、後援会の退会届とかが
 FAXで送られてくるんですね。
 ちょっとそれを見たとき、ちょっと寂しくなって、
 やっぱりもう1回みんなから愛されるエスパルス…
 やっぱりここの地元で、ホントにもう1回、
 みんなから愛されて応援されるチーム、
 そういうチームにしたいという思いが一番です。
 それしかありません。
 そのために微力ですが、自分ができることを
 精一杯やりたいという気持ちです」

そんな大榎新監督は、
これまでファンの誰もが思っていた課題を挙げた。

・ワイドに張っての攻撃は、日本人には無理がある
・サイドで受けたときに孤立して、
 個人で勝負するしか選択肢がない状態が多い。
 ロッベンやクリロナはいないのに。
・自分達の型にハマったときだけ勝てるけど、
 あとはどうしたらいいのか困ってしまうチームでは
 なかなか上位には行けるとは思わない

そういったサッカーを、
大榎新監督はどこまで修正できるのか。

今年はまず、そこにかかっている。
そのうえで、大榎新監督が言うように…

「99年、それからアルディレスから
 ペリマンに代わったときとか
 あの頃を懐かしく思ってるサポーターの方も
 多いかもしれませんけども、あのころぐらいの
 サッカーに順位も含めて戻したいなって」

この思いが、実現してくれたらと思う。

それがJ2で実現されないように。
とにかく今年は残留して、
できる限り上の順位でフィニッシュできるように。

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