ドーハの悲劇という存在

1993年、ロスタイムに同点ゴールを決められ、
日本が悲願のW杯初出場を逃した、
いわゆる「ドーハの悲劇」が起こった地で、

22年後、アディショナルタイムの決勝ゴールで、
日本がリオ五輪出場を決めた。
決勝ゴールの原川は、1993年生まれだった。

しかも、2つの試合の相手はどっちもイラク。
そんなよくできた巡り合わせ。

選手たちはドーハの悲劇を知らない。

22年前の選手たちは、W杯も五輪も、
出場することが目標だった。

今は、出場することは義務になり、
活躍することが目標になった。

22年前、この悲劇がいつか、
日本サッカーの歴史の中で、
意味のあるものになればいいと、
スポーツ雑誌や解説者たちは言っていた。

それからといもの、悲劇は、
まるで毎年8月に放送される戦争特番のように、
W杯予選のたびにテレビで流され、
次の世代へ、自然と伝わってきた。

それだけではなく、
今大会、ドーハでの初練習の会場に、
ドーハの悲劇の舞台となった、
アル・アハリスタジアムが選んで、
手倉森監督はまるで戦争体験を語るかのように、
ドーハの悲劇を選手に語り、意識的に伝えてきた。

今、ドーハの悲劇は、
教訓として、なんなら文化として、
日本サッカー界に存在し続けている。

そしてあれ以来、W杯予選と五輪予選で、
敗退という悲劇は起こっていない。

っていう歴史の重みももちろんあると思うけど、
ドーハの悲劇の存在価値は、
もっと別の部分が、大きいと思ってる。

ドーハの悲劇がなくても、
今と全く同じ2016年の日本サッカーが
あったのかもしれない。

ドーハの悲劇がなくて、
ワールドカップに出場していたら、
今よりも進んだ日本サッカーがあったのかもしれない。

ドーハの悲劇の価値は、やっぱり単純に、
ドーハの悲劇をリアルタイムで見た人にとっての
感情を刺激する存在なんだと思う。

アジア予選への気持ちが高ぶるし、
ドーハの悲劇の恐怖があるから、
毎回、アジア予選の試合は見てる方も、
最後までドキドキする。

結局それが、一番の価値なんじゃないかと、
ついここで書きたくなった自分を見て思った。

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