市川大祐引退

おととい、Jリーグの清水で13シーズンプレーした、
市川大祐の引退が発表された。

僕にとっては同じ名字で、
歳も1つ違うだけで、ほぼ同じ世代。
だからずっと親近感を持っていて、
ずっと応援していた。

ここまでの苦労を考えると、
おつかれさまでした、としか言いようがない。

その経歴は、輝かしい。

まだ高校3年生で清水ユース所属だった
1998年4月1日の韓国戦(親善試合)に、
史上最年少の17歳322日で日本代表デビュー。
この記録は今でも破られていない。

その年のフランスW杯では、
代表候補としてフランスに帯同。
最終的に三浦カズ、北澤とともに落選したものの、
たった数か月で日本のトッププレイヤーとして
認められる存在になっていた。

ちなみにそのときの岡田監督の言葉
「外れるのはカズ、三浦カズ」が有名だけど、
正確には「外れるのは市川、カズ、三浦カズ」と、
カズの前に「市川」の名前を言っている。

その4年後には、
2002年の日韓W杯メンバーに直前で選ばれると、
グループリーグ第3戦のチュニジア戦で、
中田のダイビングヘッドゴールをアシスト。
(ゴール後の中田が、唇を擦りむいて気にしてたやつ)

日本を代表する右サイドバックとして、
活躍してきた選手だった。

でも、たぶん苦しい時期も長かった。
オーバートレーニング症候群や、
度重なる膝のケガで、ピッチにいない期間が多かった。
日本代表として出場したのも、
この2002年のW杯が最後だった。

だから、おつかれさまでした、
としか言いようがない。

そんな市川で思い出すのが、
1998年3月21日、Jリーグデビュー戦となった、
第1節・コンサドーレ札幌戦。

個人的な話になっちゃうけど、
この試合、僕は日本平スタジアムで観戦した。
そして僕にとって、Jリーグ初観戦の試合だった。


※「写ルンです」の時代なので不鮮明

選手紹介では、高校2年生だった市川に、
他の選手のような顔写真は用意されておらず、
質素な文字だけでの紹介だった。

当時、僕が書いた日記にはこう書かれている。

「この日は、市川大祐のJリーグデビュー戦だった。
 まだ代表に選ばれていない市川だったが、
 選手紹介で名前が呼ばれると、
 スタジアムは大歓声に包まれた。
 他のどの選手よりも大きな歓声は、
 まだ高校2年生の無名ユース選手へのものとは
 思えないほどだった。
 しかし、地元は知っていた。市川とい う選手を」

僕の文章が、Numberにかぶれて
変に気取ってるのはさて置いて、
あのときのスタジアムの興奮はスゴかった。

左にアレックス、右に市川。

市川のパフォーマンスは、
デビュー戦の緊張からか、まったく良くなかった。
でもボールを持つたび、オーバーラップするたび、
スタジアムからは大きな歓声があがっていた。

市川が日本代表として韓国と戦ったのは、
この11日後だった。

市川は、U-17日本代表で
キャプテンを務めてたから、
いつか代表入りする素材だったとはいえ、
期待を込めての代表デビューとはいえ、
こんな選手は、知る限りいない。

そして昨日、JFL八戸に所属する市川は、
シーズン最後のアウェイ戦、静岡県の愛鷹で
行われた沼津との試合で、90分間プレーした。

クロスを上げると、スタンドからは、
大きな拍手が起こっていたという。

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