「オシムの言葉」に貼ってあった付箋

僕の本棚の奥に、
日焼けしないようしまってある「オシムの言葉」。

引っ張り出すと、付箋がいくつか貼ってあって、
その中に、クラブチームのサッカーについて共感する言葉があった。

それはこんな内容。

2005年のJ1第9節で、ホームの川崎が守りを固める中、
千葉が攻め続けていた試合について。
結果は川崎のカウンターにやられた千葉が0-1で敗れた。
(Jリーグには、川崎が守り、千葉が攻める時代があった!)

これを受け、「あなたの中には敵地であろうが、
守備的にゲームを進めるという発想自体がないのか」
という質問に対する、オシムの答えが以下。

攻めるかどうかというのは、人生の哲学とも関わっている。
プロの世界だから結果は大事。
内容が良いかどうかよりも、やはり勝ち負けが注目されるし、それがプロでもある。
そういう意味で、人生の哲学と関わってくるのではないか?

私が思考するのは、観客やサポーターはいったい何を望んでいるのか、
そして何が目的なのかということだ。
サッカーとは攻撃と守備から成り立っているもの。
その要素の中でいろいろな方法論をとることができるが、
私としては、いる選手がやれる最大限のことをして、
魅力的なサッカーを展開したいと考えている。

そういうサッカーを目指すには、リスクが付きものだ。
しかし、現代サッカーがビジネス化し大きなお金が動くからといって、
そのリスクのほうを狭め、大きなお金のためにサッカーをしていたら、
そのサッカーは面白いものになるだろうか?
すべてのチームがそういうサッカーを展開し、
ほとんどの試合が0-0になったらどうか?

もちろん、いいサッカーをしても0-0の結果になることはあるが、それはまた別の話。
観客が満足するようなことに挑戦することこそが、大切なことだと私は思っている。
(「オシムの言葉」P194~195より引用)

つまらないサッカーだとしても、
勝てば応援している人は喜ぶ。

でも、サッカーは必ず勝てるわけじゃない。
そのとき、つまらないサッカーはただつまらない。
スタジアムへの足が遠のいてしまうし、
新規のファンは、なかなかつかない。

だから僕は、魅力的なサッカーが大事だと思う。
負けても、見て良かったと思えるサッカー。
それはパスサッカーを目指せということじゃなくて、
みんながハードワークして戦うサッカーもそう。

オシムさんの言葉の意図と少しズレるけど、
僕はそんなことを、付箋を貼った当時も今も思う。

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