パラリンピック終盤。
ここまで見てきて感じたのは、
パラアスリートに対する見方の変化。
「障害者がさまざまな競技をしている」のではなく、
「アスリートが障害の分類ごとに競技をしている」という見方。
主語は障害者ではなく、アスリート。
その特徴として、障害があるという意識。
もちろんそう感じてない人もたくさんいるだろうけど、
少なくともスポーツを伝える側は、
アスリートとしてそれぞれの選手を取り上げているし、
世の中の空気感も、そこに近づいている。
よくいろんな人が提言しているように、
そのうちオリンピックとパラリンピックが統合して、
ひとつの大会になっていくんだろうと思う。
今大会へ向けて、オリンピックを目指す選手も、
パラリンピックを目指す選手も一緒になって、
大会へ向けて練習をしてきたという日本人選手が少なくない。
障害は、カテゴリーのひとつ。
「アスリートがスポーツに人生をかけている」
「メダルに喜びを爆発させている」「競技を愛して楽しんでいる」
そんなアスリート共通の感動も、パラリンピックにあった。
それは一般社会、仕事でも日常でも同じだろうと。
どのくらいかの人が、そう思えるきっかけになればと。
って、どんな立場で言ってんだよという話だけど。
大きな話にすると、そんなことを思った。